紅陵大学への吸収
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 14:30 UTC 版)
「群馬農林専門学校 (旧制)」の記事における「紅陵大学への吸収」の解説
教職員の大部分を失った財団は新たに東京農業大学からの支援を受け、なおも教育活動の継続を図ったが、在籍者の減少や教育環境の水準低下に歯止めをかけることができなかった。結局、群馬農専は1948年4月、文明協会の仲介を経て、財団法人紅陵大学への移管が決定し、同年8月2日に廃止が認可され、同法人の設置する紅陵専門学校の群馬分校に改組された。群馬分校には紅陵専門学校の開拓科の後身である農業科と農業経済科が置かれ、旧群馬農専の学生と開拓科出身者が混在して学ぶ状況となった。 なお、紅陵大学への吸収合併以前には、早稲田大学との合併交渉も行われていたといわれるが、進駐軍の存在から土地払い下げが適わなかったため、そちらは見送られたとされる。 後に学制改革によって紅陵専門学校群馬分校は拓殖短期大学群馬分校となり、貿易科と農業経済科が設置されたが、拓殖大学内部で農業経済科を農学部に発展させることや、当時荒廃していた東京の小平農場を整備し直す計画が浮上したため、分校は1957年3月をもって東京の本校に統合・廃止 された。しかし、こうした計画は実現せず、拓殖短期大学農業経済科は、1968年に北海道拓殖短期大学に譲渡された。
※この「紅陵大学への吸収」の解説は、「群馬農林専門学校 (旧制)」の解説の一部です。
「紅陵大学への吸収」を含む「群馬農林専門学校 (旧制)」の記事については、「群馬農林専門学校 (旧制)」の概要を参照ください。
- 紅陵大学への吸収のページへのリンク