米津政賢とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 米津政賢の意味・解説 

米津政賢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/04 13:22 UTC 版)

米津政賢

米津 政賢(よねきつ まさただ、1883年明治16年)3月8日[1] - 1941年昭和16年)8月19日[1][2])は、明治から昭和期の技術者政治家華族貴族院子爵議員位階および勲等正三位勲二等

経歴

長瀞藩主・米津政敏の長男として生まれる[1][3][4]。父の死去に伴い、1895年(明治28年)11月22日、子爵を襲爵した[3][4][5]

学習院中等科第六高等学校を経て[3]1908年(明治28年)7月、東京帝国大学農科大学を卒業[2][3][4]。同年、農商務省嘱託となる[2]。以後、農商務省種畜牧場嘱託、農林省嘱託、同畜産試験場嘱託、畜産博覧会審査官、第2回神奈川県有畜農業経営共進会審査長などを務めた[2][4]

1915年(大正4年)6月12日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[6][7]研究会に所属して活動し[2]、死去するまで5期在任した[2][4]

栄典

親族

脚注

  1. ^ a b c d e f 『平成新修旧華族家系大成 下巻』831-832頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』59頁。
  3. ^ a b c d e 『華族畫報 上』329頁。
  4. ^ a b c d e 『人事興信録 第13版 下』ヨ85頁。
  5. ^ 『官報』第3723号、明治28年11月25日。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、23頁。
  7. ^ 『官報』第859号、大正4年6月14日。
  8. ^ 『官報』第5920号「叙任及辞令」1903年3月31日。
  9. ^ 『官報』第837号「叙任及辞令」1929年10月12日。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
  • 杉謙二編『華族畫報 上』吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。


日本の爵位
先代
米津政敏
子爵
長瀞米津家初代
1895年 - 1941年
次代
米津政福



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「米津政賢」の関連用語

米津政賢のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



米津政賢のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの米津政賢 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS