米国海軍によるチャーター
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/09/19 04:24 UTC 版)
「タ・キアン (商船改装砲艦)」の記事における「米国海軍によるチャーター」の解説
1864年8月18日、四国連合艦隊に参加するために、米国公使ロバート・プルインとジェームスタウンおよび東インド艦隊司令官のシセロ・プライス代将は、ウォルシュ・ホール商会(Walsh, Hall, and Co.)から蒸気船であるタ・キアンをチャーターした。その際の条件は「陸戦隊を上陸させ、その他可能な限りの一般的支援を行うが、敵砲台の射程には入らない」ことであった。 艦隊の出発前に、フランスから幕府の外交使節団(横浜鎖港談判使節団)が帰国したが、使節がフランスと取り交わしたパリ約定には関門海峡を3ヶ月以内に通行可能にする条項が含まれていた。このため、タ・キアンのチャーターは一旦は取り消されたが、幕府はその条項を守る意志がないように思われた。この非協力的な態度のため、四カ国は長州に対して実力行使を行うことを決定した。8月28日、タ・キアンは米国政府にチャーターされた。
※この「米国海軍によるチャーター」の解説は、「タ・キアン (商船改装砲艦)」の解説の一部です。
「米国海軍によるチャーター」を含む「タ・キアン (商船改装砲艦)」の記事については、「タ・キアン (商船改装砲艦)」の概要を参照ください。
- 米国海軍によるチャーターのページへのリンク