築山古墳_(瀬戸内市)とは? わかりやすく解説

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築山古墳 (瀬戸内市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/30 23:31 UTC 版)

築山古墳
墳丘(左に後円部、右奥に前方部)
所在地 岡山県瀬戸内市長船町西須恵
位置 北緯34度40分46.55秒 東経134度8分15.00秒 / 北緯34.6795972度 東経134.1375000度 / 34.6795972; 134.1375000座標: 北緯34度40分46.55秒 東経134度8分15.00秒 / 北緯34.6795972度 東経134.1375000度 / 34.6795972; 134.1375000
形状 前方後円墳
規模 墳丘長82m
高さ10m(後円部)
埋葬施設 竪穴式石室(内部に家形石棺)
出土品 銅鏡・装身具・刀剣・武具・馬具・農工具・土師器埴輪
築造時期 5世紀後半
史跡 岡山県指定史跡「築山古墳」
地図
築山古墳
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1.5 km
須恵古代館
築山古墳
古墳位置図

築山古墳(つきやまこふん)は、岡山県瀬戸内市長船町西須恵にある古墳。形状は前方後円墳。岡山県指定史跡に指定されている。

概要

岡山県南部、長船平野から千町平野へ抜ける山間の平地南側において、北に延びる低丘陵端部に築造された古墳である[1]1907年明治40年)に石室が発掘されている。

墳形は前方部が発達した前方後円形で、前方部を東方向に向ける。墳丘は2段築成[1]。墳丘外表では15センチメートル大の角礫による葺石のほか、墳丘裾部・テラス部・墳頂部に円筒埴輪列が認められる[2]。墳丘周囲には2重の周濠が巡らされ、周濠を含めた古墳全体としては約115メートルにおよぶ[3]。埋葬施設は後円部墳頂における竪穴式石室(竪穴式石槨)で、内部に阿蘇溶結凝灰岩(阿蘇ピンク石/馬門石)製の家形石棺を据える。石室内からは、副葬品として銅鏡・装身具・刀剣・武具・馬具・農工具・土師器などが出土している。

築造時期は、古墳時代中期の5世紀後半頃と推定される[3][2]。一帯は須恵器窯跡(邑久古窯跡群)が分布する要地であり、地方の古墳としては珍しい二重周濠を有するとともに、熊本県南部からの搬入品である阿蘇熔結凝灰岩の石棺を使用する点で特色を示す古墳である。

古墳域は1959年(昭和34年)に岡山県指定史跡に指定されている。

遺跡歴

  • 1907年明治40年)、石室の発掘、石棺が露出[1]
  • 1959年昭和34年)3月27日、岡山県指定史跡に指定。
  • 1986年(昭和61年)、トレンチ調査。周溝の確認[4]
  • 1996年平成8年)4月、古墳北側に須恵古代館の開館。

墳丘

墳丘の規模は次の通り[1]

  • 古墳総長:約115メートル[3] - 周濠を含めた全長。
  • 墳丘長:82メートル
  • 後円部 - 2段築成。
    • 直径:38メートル
    • 高さ:9メートル
  • 前方部 - 2段築成。
    • 幅:66メートル
    • 高さ:約10メートル

埋葬施設

後円部墳頂

埋葬施設としては、後円部中央において竪穴式石室(竪穴式石槨)が構築されている。明治40年に発掘されて上部が失われ、現在は内部の石棺が露出する。

石室の石材は割石で、小口積みによって構築されている。石室内には阿蘇溶結凝灰岩(阿蘇ピンク石/馬門石)製の家形石棺を据え、周辺から銅鏡・装身具・刀剣・武具・馬具・農工具・土師器などが出土している。

出土品

円筒埴輪
須恵古代館展示。

石室内から出土した副葬品は次の通り[4]

  • 王氏作神人画像鏡 1
  • ガラス製勾玉 1
  • 管玉 14
  • 鉄刀 1
  • 鉄剣 1
  • 鉄鉾 1
  • 鉄鏃
  • 短甲
  • 挂甲
  • 馬具
  • 鉄斧頭
  • 鍬先
  • 土師器

以上のほか、墳丘から埴輪が出土している。

文化財

岡山県指定文化財

  • 史跡
    • 築山古墳 - 1959年(昭和34年)3月27日指定。

須恵古代館

須恵古代館

須恵古代館は、古墳の北側に隣接する展示施設。高床式建物をイメージして平成8年(1996年)4月に開館した。周辺の古墳や西谷遺跡・須恵器窯跡・廃寺などの遺跡から出土した遺物を中心に展示をおこなっている。開館日は土・日・祝日の9時30分より17時(但し入館は16時30分まで)。入館は無料。

関連施設

  • 須恵古代館(瀬戸内市長船町西須恵) - 築山古墳に隣接。築山古墳の出土埴輪を展示。
  • 東京国立博物館東京都台東区) - 築山古墳の出土品を保管。

脚注

  1. ^ a b c d 史跡説明板。
  2. ^ a b 築山古墳(瀬戸内市ホームページ)。
  3. ^ a b c 『瀬戸内市の古墳 -前方後円墳を中心に-』 (PDF) 公益財団法人瀬戸内市歴史まちづくり財団、2024年(リンクは公益財団法人瀬戸内市歴史まちづくり財団)。
  4. ^ a b 日本古墳大辞典 1989.

参考文献

(記事執筆に使用した文献)

関連文献

(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 梅原末治「岡山県下の古墳調査記録(二)」『瀬戸内海研究』9・10合併号、瀬戸内海総合研究会、1957年。 
  • 乗岡実・行田裕美『吉備の古墳 上 備前・美作』吉備人出版〈吉備考古ライブラリィ4〉、2000年。 ISBN 490657744X 

外部リンク




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