牛文茶臼山古墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/30 23:31 UTC 版)
牛文茶臼山古墳 | |
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所在地 | 岡山県瀬戸内市長船町牛文 |
位置 | 北緯34度41分38.07秒 東経134度7分38.40秒 / 北緯34.6939083度 東経134.1273333度座標: 北緯34度41分38.07秒 東経134度7分38.40秒 / 北緯34.6939083度 東経134.1273333度 |
形状 | 帆立貝形古墳 |
規模 | 墳丘長48m 高さ5.5m(後円部) |
埋葬施設 | 竪穴式石室 |
出土品 | 銅鏡・貝釧・帯金具・鉄刀・冑・馬具・須恵器・埴輪 |
陪塚 | 牛文小茶臼山古墳 |
築造時期 | 5世紀末 |
史跡 | 瀬戸内市指定史跡「牛文茶臼山古墳」 |
地図 |
牛文茶臼山古墳(うしぶみちゃうすやまこふん)は、岡山県瀬戸内市長船町牛文にある古墳。形状は帆立貝形古墳。瀬戸内市指定史跡に指定されている。
概要
岡山県南部、長船平野南東部の桂山北側、桂山から北東方向に延びる尾根頂部に築造された古墳である[1]。1912年(明治45年)に発掘されて副葬品が出土している。
墳形は前方部が短小な帆立貝形の前方後円形で、前方部を南西方向に向ける。墳丘は後円部では2段築成[1]。墳丘外表では円筒埴輪・朝顔形埴輪が確認されている[1]。埋葬施設は後円部墳頂における竪穴式石室(竪穴式石槨)である。石室内面には赤色顔料を塗布し、床面には円礫を敷く[2]。石室内からは、明治期の発掘で銅鏡・貝釧・帯金具・鉄刀・冑小札・馬具・須恵器・埴輪などの副葬品が出土している。なお、北側には牛文小茶臼山古墳(円墳、直径14メートル)が所在して埴輪片が採集されており、陪塚と推測される[3]。築造時期は古墳時代中期の5世紀末頃と推定される[1][2]。
古墳域は1991年(平成3年)に旧長船町指定史跡(現在は瀬戸内市指定史跡)に指定されている。
遺跡歴
- 1912年(明治45年)、地元民による発掘、石室発見。帝室博物館による発掘継続、副葬品出土(現在は東京国立博物館保管)[4]。
- 1991年(平成3年)4月1日、旧長船町指定史跡に指定(現在は瀬戸内市指定史跡)。
墳丘
墳丘の規模は次の通り[3]。
- 墳丘長:48メートル
- 後円部 - 2段築成。
- 直径:33.2メートル
- 高さ:5.5メートル
- 前方部
- 長さ:14.8メートル
- 幅:16メートル
出土品
- 画文帯神獣鏡 1 - 全国各地で同笵鏡が知られる。
- 貝釧 1
- 金銅製獅噛文帯金具 13
- 鉄刀 4
- 冑小札
- 馬具
- 須恵器
以上のほか、墳丘から埴輪が出土している。
文化財
瀬戸内市指定文化財
- 史跡
- 牛文茶臼山古墳 - 1991年(平成3年)4月1日指定。
関連施設
脚注
参考文献
(記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板(旧長船町教育委員会設置)
- 「牛文茶臼山古墳」『岡山県の地名』平凡社〈日本歴史地名大系34〉、1988年。ISBN 4582490344。
- 高橋護「牛文茶臼山古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。 ISBN 4490102607。
関連文献
(記事執筆に使用していない関連文献)
- 梅原末治「岡山県下の古墳調査記録(二)」『瀬戸内海研究』9・10合併号、瀬戸内海総合研究会、1957年。
外部リンク
- 牛文茶臼山古墳 - 瀬戸内市ホームページ
- 牛文茶臼山古墳のページへのリンク