笹尾粂太郎とは? わかりやすく解説

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笹尾粂太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/30 00:22 UTC 版)

笹尾 粂太郎(ささお くめたろう、1871年4月14日明治4年2月25日〉- 1941年昭和16年〉1月29日)は、日本の哲学者である。

経歴

長門国、現在の山口県下関市に笹尾勝蔵の息子として生まれ、日本基督教会柳川教会で父から洗礼を受けた。山口高等学校に入学したが、経済的事情で明治学院神学部に転校。同じく、白金にあった自営館(現・巣鴨教会)で共同生活を送った。

明治学院から推薦されて、20歳で渡米し、オーバン神学校、コロンビア大学で学んだ。さらに、1896年にドイツに渡りベルリン大学ハレ大学ボン大学キリスト教カント哲学の研究を重ね、1899年に学位論文「カントの神概念」によりボン大学より哲学博士号を得た。

1900年10月シュネーダーの紹介で東北学院教授に就任し、神学と哲学を教えた。また、第二高等学校講師も兼ねていた。1927年に明治学院に転任し、高等部部長として1934年の引退まで務めた。

1936年に共立女学校(横浜共立学園)の5代目校長に就任した。

参考文献

  • 『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年



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