第7交響曲の作曲
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「交響曲第7番 (マーラー)」の記事における「第7交響曲の作曲」の解説
1904年の夏、ヴェルター湖畔マイアーニック(Maiernigg)の作曲小屋で交響曲第6番及び『亡き子をしのぶ歌』(第3曲、第5曲)の完成に前後して第7番の2つの「夜曲」(Nachtmusik)を作曲する。 翌1905年の夏、第7番の第1楽章、第3楽章、第5楽章を作曲して全曲が完成。1910年5月にマーラーがアルマに宛てた手紙には、この夏の回想として、湖でボートに乗り、オールを漕いだときに第1楽章の序奏主題が心に浮かび、4週間の間に各楽章を作曲したと書いている。 同年、『亡き子をしのぶ歌』、『リュッケルトの詩による歌曲集』(第1曲~第4曲)をライプツィヒのカーント社から出版。
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