第5歩兵旅団の海上輸送
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 04:51 UTC 版)
「フォークランド紛争」の記事における「第5歩兵旅団の海上輸送」の解説
第2空挺大隊を援護するためにも迅速な前進が望まれたことから、6月3日、ムーア少将は、第5歩兵旅団を海上輸送によってフィッツロイに前進させることを決心した。しかしフィッツロイには揚陸可能な砂浜が乏しく、また本国のフィールドハウス大将が損害に神経質になっていたこともあり、計画は度々変更されて、実施部隊を憤激させた。まず5日から6日の夜間に「イントレピッド」を用いて第1回の海上輸送が行われた。多くの困難が経験されたとはいえ、スコットランド近衛大隊は、無事にフィッツロイ対岸のブラフ・コーヴに到着した。しかしこのとき、同大隊と交代した第2空挺大隊が、フィッツロイに移動するために、同大隊が乗ってきた舟艇を勝手に借用したことで、後の海上輸送に大きな障害が生じた。 続いて6日から7日の夜間に、「イントレピッド」と「サー・トリストラム」を用いて第2回の海上輸送が行われた。しかしこの輸送の際に現地での荷役に使う予定だった舟艇が第2空挺大隊に借用されて所在不明となっていたため、「イントレピッド」に乗艦してきたウェールズ近衛大隊などの部隊を全て上陸させることができなかった。この部隊を輸送するため、7日夜、「サー・ガラハド」を用いて第3回の輸送が行われた。しかしこの時、フィッツロイではまだ「サー・トリストラム」による擱座揚陸の途中であり、「サー・ガラハド」が着岸する余地はなかった。またウェールズ近衛大隊は、本隊がいるブラフ・コーヴまで乗船するつもりでおり、航空攻撃を警戒して下船を勧告にきた海兵隊のサウスビー=テルユア少佐の助言を無視した。
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