第2回ローマ包囲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 06:58 UTC 版)
アラリックの経歴を通して言えることであるが、生涯の最終的な目標は、ローマ帝国を地上から消し去ることでなかった。むしろ、ローマ帝国のお墨付きで帝国の境界線で定住する特権を守るということにあった。アラリックの要求は壮大なものであった。その内容は属州イリュリクムに相当する領域、ドナウ川からヴェネツィアまでの200×150マイル(320×240キロメートル)土地の割譲を求めており、帝国軍の司令官職の称号をもって帝国の名目的な保護下に置かれるというものであった。皇帝はゴート族の要求を一旦は受諾した。しかし、ホノリウス帝はラヴェンナの湿地と堤防で防備された町に住んでいながら、自分の保身を考えた末に突如翻意して、ゴート族の要求を拒否しはじめた。409年、ホノリウス帝と満足のいく交渉を図るという試みが潰れ、アラリックはローマ元老院を相手に交渉をまとめようとして戦いを始めた。ローマ第2次包囲戦である。ローマ元老院の承認を受けて、アラリックはギリシア名プリスカス・アッタルスという帝国の首都長官を対立皇帝として擁立した。
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