第17師団と第17師管
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/08 23:12 UTC 版)
「第17師管」の記事における「第17師団と第17師管」の解説
師管は同じ番号の師団のための徴兵と密接に結びついており、第17師団の兵士は第17師管に戸籍を持つ男子から徴集された。また、第17師管から徴兵された兵士は第17師団に入るのが原則であったが、これにはいくつか例外がある。まず、独自の師管を持たない近衛師団には、全国の師管から兵士が送られた。第17師管でのはじめての徴兵となる1908年(明治41年)を例にとると、第17師管から徴兵される現役兵は、第17師団に4857人、近衛師団に49人を配分する計画であった。さらに1915年(大正4年)に朝鮮に置かれた2個師団は、自らの師管を持たなかったので、内地の師管から兵卒を送られた。1918年(大正7年)に同様な例をとると、第17師団へ3169人、近衛師団へ86人、第20師団へ862人が配分される計画であった。 師管はまた、師団が地域防衛・治安維持に責任を負う範囲でもある。しかし、この時代には国内での反乱の可能性はなくなり、外国軍による日本本土への上陸攻撃も考えにくくなっていた。
※この「第17師団と第17師管」の解説は、「第17師管」の解説の一部です。
「第17師団と第17師管」を含む「第17師管」の記事については、「第17師管」の概要を参照ください。
- 第17師団と第17師管のページへのリンク