第1バチカン公会議における教義としての布告(1870年)
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「教皇不可謬説」の記事における「第1バチカン公会議における教義としての布告(1870年)」の解説
第1バチカン公会議は教皇の不可謬について次のように宣言した。 われわれはこう教え、定める。すなわちローマ教皇が聖座から語るとき、すなわちそれはすべてのキリスト者の牧者とし教師として、その使徒的な権威によって全教会が守るべき信仰と道徳の事柄に関して述べるなら、それはペトロの名において約束された聖なる力の助けをうけるものであり、教会の信仰と道徳に関する教えについて救い主から来る不可謬性があたえられる。そしてそのような決定は、それ自体によって教会の同意によってではなく、改正不能なものとなる。 — デンツィンガー1839番、第1バチカン公会議 第四会期 キリストの教会 4章 カトリック神学ではこれが公会議によって認められた不可謬性の公式な教義の確定であると見る。1870年になってようやく教皇の不可謬は教義として公式に布告されたものが、それにいたるまでに長い歴史的・神学的展開を経ていることは否定できない。
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