第1バチカン公会議における教義としての布告とは? わかりやすく解説

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第1バチカン公会議における教義としての布告(1870年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/07 14:12 UTC 版)

教皇不可謬説」の記事における「第1バチカン公会議における教義としての布告(1870年)」の解説

第1バチカン公会議教皇不可謬について次のように宣言した。 われわれはこう教え定める。すなわちローマ教皇聖座から語るとき、すなわちそれはすべてのキリスト者牧者とし教師として、その使徒的な権威によって全教会が守るべき信仰道徳事柄に関して述べるなら、それはペトロの名において約束された聖なる力の助けをうけるものであり、教会信仰道徳に関する教えについて救い主から来る不可謬性があたえられる。そしてそのような決定は、それ自体によって教会同意によってではなく改正不能なものとなる。 — デンツィンガー1839番、第1バチカン公会議 第四会期 キリストの教会 4章 カトリック神学ではこれが公会議によって認められ不可謬性の公式な教義確定であると見る。1870年になってようやく教皇不可謬は教義として公式に布告されたものが、それにいたるまでに長い歴史的神学的展開を経ていることは否定できない

※この「第1バチカン公会議における教義としての布告(1870年)」の解説は、「教皇不可謬説」の解説の一部です。
「第1バチカン公会議における教義としての布告(1870年)」を含む「教皇不可謬説」の記事については、「教皇不可謬説」の概要を参照ください。

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