第一次チェチェン戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 05:48 UTC 版)
「アフマド・カディロフ」の記事における「第一次チェチェン戦争」の解説
1994年、周辺地域の不安定化を恐れたロシア軍が連邦派を支援して参戦、第一次チェチェン紛争が勃発する。カディロフは「ロシア人はチェチェン人より遥かに多いが、なら1人のチェチェン人が150人のロシア人を道連れにすれば良いだけだ」と述べ、自ら政府側の武装組織を率いてロシア軍・連邦派勢力と激しい戦闘を繰り広げている。また内戦中の1995年にドゥダエフ大統領によって正マフティーに任命されると、ロシアとの戦いを正当とするファトワーを発して抗戦の意思を明確にした。 戦争が両者の停戦で一応の決着を見ると、新たに成立したアスラン・マスハドフ政権で引き続いて共和国ムフティーとして宗教問題を統括した。
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