笑福亭圓歌とは? わかりやすく解説

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笑福亭圓歌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/12 15:33 UTC 版)

笑福亭 しょうふくてい 圓歌 えんか
本名 沖本 おきもと 房吉 ふさきち
生年月日 1882年11月14日
没年月日 (1952-03-31) 1952年3月31日(69歳没)
出身地 日本・大阪
師匠 2代目桂萬光
3代目笑福亭圓笑
名跡 1. 桂萬蝶(1893年 - ?)
この間廃業
2. (亭号不明)琥遊三(1906年 - ?)
3. (亭号不明)文香(? - 1907年)
4. 藤原好史(1907年 - 1909年)
5. 笑福亭圓歌(1909年 - 1952年)
活動期間 1893年 - ?
1906年 - 1952年
活動内容 盆廻し
布団廻し
音曲
寄席踊り
家族 初代中村霞仙(一時養父)
2代目中村鴈治郎(娘婿)
所属 桂派

笑福亭 圓歌(しょうふくてい えんか、1882年11月14日 - 1952年3月31日[1])は、上方落語落語家上方噺家)。歌舞伎役者の2代目中村鴈治郎の義父[1]。本名∶沖本 房吉[1]

経歴

現在の大阪府大阪市住吉区に生まれる[1]。幼くして両親を失う[1]1893年2代目桂萬光の門下となり萬蝶を名乗り、12歳で初高座[1]。その後、歌舞伎役者の初代中村霞仙の養子となり[1]、高座を離れる。後に中村家と離縁され[要出典]、19歳から23歳にかけて東京で清元を修行する[1]。帰阪後 1906年前後[要出典]素人落語に加わる[1]堺で牛乳屋のかたわら[要出典]「琥遊三」を名乗ったり、「文香」を名乗 和歌之助(→二代目笑福亭福圓)とともに北陸地方に行[要出典]ったりした[1]1907年[要出典]藤原年史に入門して藤原好史を名乗り、次いで 1909年[要出典]笑福亭圓歌となる[1]。襲名後は京都と大阪を中心に活動した[1]

42歳の時、漫才の台頭で落語に見切りを付け、京都市中京区河原町三条付近で小鳥屋を営んだ[1]。後に5代目笑福亭松鶴が主催する「楽語荘」同人となり、幾度か高座にも上がっている[要出典]。墓所は京都市中京区裏寺町の宝蔵寺で、法名は鶯空圓歌禪定門位[1]

芸風

好史時代は豆電球つきの盆廻しや布団廻しで人気を得る[1]。圓歌となってからは、江州音頭や、『のりやの看板』『理屈按摩』などの音曲噺を得意とした[1]。高座の終わりには、必ず大津絵節の『楠公』などを踊ったという[1]

人物

娘婿が畑違いの2代目中村鴈治郎だったため「成駒屋さんから父さんと言われ死に」などと川柳に歌われた[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 古今東西落語家事典 1989, p. 321, 上方篇 六、楽語荘の人々(笑福亭圓歌の項).

参考文献





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