竹内三統流・佐村正明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 23:59 UTC 版)
1869年(明治2年)10月半ばごろ、久留米から肥後(熊本県)に遠征し、坪井広町にあった扱心流の柔術家江口矢門の道場で佐村正明と試合をした。 佐村は半身に立って構えたのに対し、中村は片膝をついて寝技に持ち込もうとした。しかし佐村が乗ってこなかったため立ち上がろうとしたところに、佐村は中村のみぞおちに当て身を仕掛けてきた。それをかわして後ろから佐村を突き飛ばしたが、佐村は宙を一転して10尺(約3メートル)先に降り立った。死力を尽くした攻防が続き、最後は佐村が胴を両足で、首を右腕で同時に絞め、中村は「参った」の合図をし、試合は決着した。 1887年(明治20年)、ともに柔術世話掛に就任した中村と佐村は鍛冶橋警視庁で再び試合をし、この時には中村が勝利した。
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