竹内三統流・矢野広次
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1881年(明治14年)春に、同門の宇高権太夫、上原庄吾、妹尾季之進、野田碌郎とともに熊本に遠征した際に、竹内三統流の矢野広次と対決。中村は上四方固で矢野を押さえ込んだが、矢野は中村の胸に噛みついた。「これくらいでいいでしょう」と言って立ち上がった中村の胸に噛みついたまま離さなかったため、佐村が矢野の口の中に火箸を突っ込んで歯をたたき折って口を開かせて2人を引き離した(石橋和男『良移心当流 中村半助手帖』)。 雑誌『キング』昭和3年1月号に掲載された「中村半助と佐村正明」には、1868年(明治元年)に熊本の扱心流道場主の弟江口源心と試合をした際、源心は腕挫十字固を極められ、腕を折られながらも中村の太腿に噛みついた。敗れたものの源心の口には噛みちぎった肉片が残っていた。この立ち合いの場にも佐村はいたという。 この2つの逸話は、『日本武術・武道大事典』によれば、同一の出来事が語り伝えられるうちに形を変えたものと考えられている。
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