空蟬に真昼の海が残っている
作 者 |
|
季 語 |
|
季 節 |
夏 |
出 典 |
|
前 書 |
|
評 言 |
作者は現在二十歳。この作品は十八歳の時の作品。夏も終わろうとしているが、それでも「真昼の海」は眩しい光で満ちている。誰でも一度は通る青春の一ページ、十代は夢のように走り抜けていってしまう。深層心理に於いて海はエネルギーの塊とされるが、何かから脱皮をしようとする時のエネルギーは、膨大な筈である。そのエネルギーの断片が、きっと脱皮し続けている彼女の抜け殻に、まだ残像のように漂っているのだ。「空蟬」は昨日の自分なのだろうか、その昨日の自分をふと振り返る作者の仕草が見える。その年代にしか描けない俳句の世界がある。十代なら十代の世界。そのアンニュイな感覚を上手く捕らえた一句。また、アンニュイも別の一面を持つ事がある。「日雷毛穴がみんなびっくりする」などという若さだ。作者の同時期の作品であるが、若いと毛穴もよく目立つのだろうなあ。勢いがあって、開いた毛穴まで羨ましい気もる・・・。 |
評 者 |
|
備 考 |
- 空蟬に真昼の海が残っているのページへのリンク