稲葉圭亮とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 稲葉圭亮の意味・解説 

稲葉圭亮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/01 05:58 UTC 版)

稲葉 圭亮(いなば けいすけ、1886年12月10日[1] - 1975年12月11日[2])は、日本の政治家衆議院議員(1期)。

稲葉 圭亮
いなば けいすけ
生年月日 (1886-12-10) 1886年12月10日
出生地 新潟県
没年月日 (1975-12-11) 1975年12月11日(89歳没)
出身校 東京帝国大学法学部
所属政党 翼賛政治会→)
翼壮議員同志会→)
無所属倶楽部
親族 弟・稲葉修(元衆議院議員、元法務大臣
甥・稲葉大和(元衆議院議員)

選挙区 新潟県第2区
当選回数 1回
在任期間 1942年4月30日 - 1945年12月18日
テンプレートを表示

経歴

新潟県出身。東京帝国大学法学部に入り、上杉慎吉の下で憲法学と社会学を学ぶ[3]。在学中に七生社を結成する[3]1917年に同大学を卒業[2]。翌年、中国に渡り、大総統府に勤務する[3]。帰国後は法政大学講師となり[4]、東亜研究所に勤務し、1942年第21回衆議院議員総選挙(いわゆる「翼賛選挙」)で新潟2区(当時)から翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選する。当選後は大政翼賛会政調会商工委員、事務局参与となった[3]。終戦後の1945年無所属倶楽部に加入したが、翌年公職追放となった[5]。 1975年死去。

親族

脚注

  1. ^ 衆議院『第八十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1942年、8頁。
  2. ^ a b 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』73頁。
  3. ^ a b c d 議会新聞社 編『翼賛議員銘鑑』1943年、43頁。NDLJP:1439721 
  4. ^ 『朝日新聞』1942年5月3日四面。
  5. ^ 『朝日新聞』1946年2月10日一面。

参考文献

  • 『翼賛議員銘鑑』議会新聞社、1943年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「稲葉圭亮」の関連用語

稲葉圭亮のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



稲葉圭亮のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの稲葉圭亮 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS