稲子地区の衰退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/17 20:09 UTC 版)
稲子地区には、炭焼きや林業、狩猟などを生活の糧とする人が多く、1960年には最多となる127人の人口を記録する。しかし、その後石油への燃料の変化などにより集落の仕事が失われ、稲子地区の衰退が始まった。その頃にやっと稲子地区に電話と電気が繋がった。1980年代後半までは稲子峠の町道には除雪車が入らず、冬は稲子で急病人が出ても峠を越えることが出来ず、そのまま放っておかれることもあった。最盛期には牛20頭ほどに荷物を載せた何人もの行商人が稲子地区を毎日訪れていたが、1997年頃には週に1回の軽トラック1台の訪問販売になっていた。採算割れの訪問販売であったが、亀之進は行商人にお茶を出して出迎えたという。亀之進は稲子地区の区長も務めた。1997年の稲子地区の住人は6人だけで平均年齢は77.8歳、最長老は92歳の亀之進だった。
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