秋田蘭画の紹介
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 09:54 UTC 版)
秋田蘭画を広く世に紹介した人物として、直武と同郷の日本画家で明治末年頃から昭和初期にかけて活躍した平福百穂がいる。1930年(昭和5年)、百穂は『日本洋画曙光』という大型版画集のなかで秋田蘭画を紹介している。また、百穂はアララギ派の歌人でもあり、以下の短歌7首を詠んでいる。 みちのくの 出羽の太守と 生れけむ この君にして 描ける 阿蘭陀絵 この君の ゑがきける絵は おほらかなり 蘭法にならひ 吾が国ぶりの絵 丹念に ゑがきける絵に 落款の 曙山と大きく おらんだ文字の印 いちはやく おらんだぶりを 画(えが)きしは 吾が郷人(くにびと)よ 小田野直武 明暗を とりてゑがける ふりにし絵 珍笑(うづゑ)ましもよ そのおらんだぶり 細密(こまごま)に ゑがきたる絵は 真白なる 兎に笹の かげをおとせる 壮(わか)くして 逝きにし人の 阿蘭陀絵は 世に稀なれや くりかへしみつ
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