秋津王子
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「九十九王子 (田辺市・上富田町)」の記事における「秋津王子」の解説
秋津王子(あきつおうじ)は、会津川河口にかかる龍神橋の付近の旧柳原村周辺にあったと見られるが、水害のために会津川左岸沿いの南側、安井宮旧地笠松跡碑(田辺市下万呂字落合719)が現在建つあたりに移転した(『紀伊続風土記』)。元禄6年(1693年)付の社蔵の棟札には「当社本在于柳原村三遷而勧請今安井村」とあり、移転が繰り返されたことが分かる。 史料上の初出は「熊野道之間愚記」建仁元年(1201年)10月13日条の「参秋津王子」とあるもので、『中右記』天仁2年の参詣記に見えないことから、この間に祀られたものと見られている。この後、『熊野縁起』に「秋津」、『九十九王子記』に「アキツ」の記述が見られる。 幾つかの近世の史料によれば、奥行22間・幅11間の社地には神社林があり、社殿の傍らには八百万神拝所なる末社があり、若一王子ないし若一王子権現と呼ばれた。本地仏は十一面観音と伝えられる。 所在地 田辺市秋津町43
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