福田新田村とは? わかりやすく解説

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福田新田村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/12 06:32 UTC 版)

ふくだしんでんそん
福田新田村
廃止日 1904年4月1日
廃止理由 新設合併
福田村(初代)福田新田村呼松村福田村(2代)
現在の自治体 倉敷市
廃止時点のデータ
日本
地方 中国地方山陽地方
中国・四国地方
都道府県 岡山県
児島郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 3,950
[1]、1903年)
隣接自治体 福田村、呼松村、連島村
福田新田村役場
所在地 岡山県児島郡福田新田村
旧・福田新田村役場庁舎位置
(現在の第一福田小学校付近)[2]
座標 北緯34度31分39秒 東経133度45分20秒 / 北緯34.527369度 東経133.755528度 / 34.527369; 133.755528 (福田新田村)座標: 北緯34度31分39秒 東経133度45分20秒 / 北緯34.527369度 東経133.755528度 / 34.527369; 133.755528 (福田新田村)
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福田新田村(ふくだしんでんそん)は岡山県児島郡にあった自治体である。現在の倉敷市のうち、水島地域福田地区)の北畝中畝・南畝・東塚・松江に当たる。

歴史

  • 1848年(嘉永元年) - 岡山藩野崎武左衛門らに命じて、福田新開の開発を命じる。
  • 1851年(嘉永4年) - 福田新開が完成(のちに東塚・松江・北畝・中畝・南畝の五ヵ村に分立)[3]
  • 1875年明治8年)- 松江と呼松村が合併して王島村を成立。呼松村の大島(王島)が干拓により松江と地続きとなり飛び地化したことによる[4]
  • 1875年(明治8年) - 五ヵ村が東塚村・松江村・北畝村・中畝村・南畝村に改称。
  • 1879年(明治12年)- 松江村と呼松村が分村。ただし大島(王島)は松江村に編入[4]
  • 1884年(明治17年)8月25日 - 台風による暴風雨と高潮により堤防が決壊し546名が死亡[5]。特に福田新開の五ヵ村の被害が甚だしかったことから合併を促進[1]
  • 1885年(明治18年)4月 - 東塚・中畝・対馬の3校を合併し、遷喬小学校を東塚村に設置[6][7]
  • 1889年明治22年)6月1日 - 町村制の施行により、北畝村・東塚村・中畝村・南畝村・松江村が合併して福田新田村発足。旧村名を継承した5大字を編成[1]
  • 1904年(明治37年)4月1日 - 福田村(初代)・呼松村と合併し、新たに福田村(2代)発足。同日福田新田村廃止。

教育

脚注

  1. ^ a b c 角川日本地名大辞典 岡山県「福田新田村(近代)」
  2. ^ 1/20000倉敷 明治30年測図・明治32.9.30発行今昔マップ on the web
  3. ^ 郷土の歴史(株式会社フクダ物産)
  4. ^ a b 角川日本地名大辞典 中国地方「王島村(近代)」
  5. ^ 明治十七年暴風津浪乃惨劇 : 福田新開の惨劇(千人塚百周年行事実行委員会)
  6. ^ 角川日本地名大辞典 岡山県「東塚村(近代)」
  7. ^ a b 沿革(倉敷市立第一福田小学校 2019年7月6日時点のアーカイブ

関連項目




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