福田みどりとは? わかりやすく解説

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福田みどり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/24 15:44 UTC 版)

福田 みどり(ふくだ みどり、1929年昭和4年) - 2014年平成26年)11月12日)は、作家司馬遼太郎夫人で、司馬没後は、司馬遼太郎記念財団理事長に就いた。実弟は同財団理事長を引き継いだ上村洋行。大阪府出身。旧姓・松見。

人物

  • 大阪樟蔭女子専門学校(現・大阪樟蔭女子大学)卒業後、1949年(昭和24年)産経新聞社に入社し、まず「こども大阪」(タブロイド判、週刊、後に廃刊)を担当、後に文化部に移動。婦人欄担当記者として活躍した(最初は料理記事を担当)。
  • 1959年(昭和34年)に同じ産経新聞社の記者だった福田定一(後の作家司馬遼太郎、翌1960年(昭和35年)に直木賞を受賞)と結婚する。
  • 1964年(昭和39年)に同社を退社後は、夫を終生支え続けた。
  • 1996年(平成8年)2月の司馬の死去をうけ、同年11月1日に司馬遼太郎記念財団を創設。
  • 2014年(平成26年)11月12日、心不全のため死去[1]。85歳没。

著書

ドキュメンタリー

  • 「妻が語る思い出の作家たち 司馬遼太郎〜22歳の自分への手紙〜」(1997年、NHK)[3]

関連項目

脚注

  1. ^ "福田みどりさんが死去 司馬遼太郎氏の夫人". 産経新聞. 2014年11月12日. 2014年11月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年11月12日閲覧
  2. ^ 『「追悼の司馬遼太郎」 司馬遼太郎さんと私』(夕刊フジ編、産経新聞社、1997年)にも、同僚時代の回想も含むインタビューを収録。他は対談・講演・手紙
  3. ^ "妻が語る思い出の作家たち 司馬遼太郎〜22歳の自分への手紙〜". NHK. 2021年4月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月21日閲覧

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