福永泰子とは? わかりやすく解説

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福永泰子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/14 15:55 UTC 版)

福永 泰子(ふくなが やすこ、1918年大正7年〉3月16日[1] - 2006年平成18年〉9月11日)は、日本の旧華族皇后女官嵯峨実勝侯爵令嬢。夫は関西大学教授・福永健治。香淳皇后に仕えた。長姉が愛新覚羅溥傑夫人の

略歴

関西の実業家で宮家との縁もある福永家に嫁ぐが、わずか1年8ヶ月で夫に先立たれる[2]

1968年(昭和43年)5月、泰子の勧めにより、溥傑・浩の次女で姪である嫮生と、亡夫の姉の次男である健治が結婚した[3]

徳川義寛の勧めで宮中に入り、1971年(昭和46年)から1989年平成元年)にかけて宮内庁侍従職で女官を務め、その後2000年(平成12年)まで香淳皇后に仕えた[4]。83歳で退職[5]

2006年9月、88歳で死去。葬儀は神戸市須磨区で健治が経営する高齢者福祉施設「パーマリィ・イン須磨」の自宅で行われた。葬儀の喪主は嫮生が務めた[6]

脚注

  1. ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻(霞会館、1996年)p.630
  2. ^ 本岡 2011, pp. 292–293.
  3. ^ 福永 2011, pp. 258–266; 本岡 2011, pp. 292, 298.
  4. ^ 毎日新聞2006年9月12日
  5. ^ 本岡 2011, p. 293.
  6. ^ “福永泰子さん死去/故愛新覚羅溥傑氏夫人の妹”. 四国新聞. (2006年9月12日). https://www.shikoku-np.co.jp/national/okuyami/article.aspx?id=20060912000399 2020年8月22日閲覧。 

参考文献




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