禅林寺_(三重県菰野町)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 禅林寺_(三重県菰野町)の意味・解説 

禅林寺 (三重県菰野町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/21 03:45 UTC 版)

禅林寺

本堂
所在地 三重県三重郡菰野町下村191
位置 北緯35度01分21秒 東経136度32分38秒 / 北緯35.02250度 東経136.54389度 / 35.02250; 136.54389座標: 北緯35度01分21秒 東経136度32分38秒 / 北緯35.02250度 東経136.54389度 / 35.02250; 136.54389
山号 瑞光山
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 大日如来
創建年 天智天皇5年(666年)
開基 藤原鎌足
中興年 慶安2年(1649年)
中興 鉄雙
正式名 瑞光山禅林寺
札所等 東海四十九薬師霊場 9番札所
法人番号 6190005009509
禅林寺
禅林寺 (三重県)
テンプレートを表示

禅林寺(ぜんりんじ)は、三重県三重郡菰野町にある、臨済宗妙心寺派の仏教寺院。山号は 瑞光山(ずいこうざん)。本尊大日如来

歴史

天智天皇5年(666年聖徳太子の遺願により、藤原鎌足が創建し、当初は大強原山盧遮那寺と称し、七堂伽藍を有する、天台宗の寺院であった。元弘年間(1331年 - 1334年後醍醐天皇に仕えた千種忠顕が、この地に堂宇を再建し、大日如来を安置して隆盛をきわめるが、応仁の乱1467年)の兵火により焼失する[1]

その後千種忠顕は、この地に城を構え禅林寺城と称する。正平年間(1346年 - 1369年)忠顕の次男、千種顕経の代に千種の地に千種城を築き、当寺を菩提寺として復興する。文亀3年(1503年)11月、5代目城主千種治庸が、普照大光禅師を招き再興する。このとき千種忠顕の称号であった、禅林寺宰相の名をとり、瑞光山禅林寺と称し臨済宗となるが、北勢の戦乱により寺領を失い、永禄11年(1568年織田信長の兵火により焼失する[1][2]

慶安2年(1649年)、桑名長寿院の鉄雙和尚が中興し、臨済宗の妙心寺派に属する[1]

本堂明治6年(1873年)菰野城廃城の際、藩邸の一部を移築して本堂に充てている。庫裏嘉永3年(1850年)の建立[3]

境内

境内に薬師堂、地蔵堂、金比羅堂が建ち、昭和2年(1927年)「千種忠顕卿追遠之碑」が建立されている[3]

当寺には、千種城歴代城主の位牌が祀られているが、千種家の墓地や墓碑は、当寺境内では確認されていない[4]

文化財

菰野町指定有形文化財
  • 大日如来像 平成4年(1992年)9月17日指定[5]

周辺

アクセス

参考文献

  • 菰野町『菰野町史 上』1987年、130頁。
  • 菰野町『菰野町史 下』1997年、452・453頁。
  • 冨永航来『東海四十九薬師巡礼』朱鷺書房、2000年、50 - 53頁。

関連項目

脚注

  1. ^ a b c 冨永航来『東海四十九薬師巡礼』朱鷺書房、
  2. ^ 菰野町観光協会 三重こもの町 禅林寺(2010年4月18日閲覧。)
  3. ^ a b 菰野町『菰野町史 下』1997年、452・453頁。
  4. ^ 菰野町『菰野町史 上』1987年、130頁。
  5. ^ 菰野町観光協会 三重こもの町 歴史・文化・伝説 禅林寺大日如来像(2010年4月18日閲覧。)

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「禅林寺_(三重県菰野町)」の関連用語

1
76% |||||

2
52% |||||

3
10% |||||

禅林寺_(三重県菰野町)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



禅林寺_(三重県菰野町)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの禅林寺 (三重県菰野町) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS