神林照雄の社長就任と霞百貨店からの自立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 17:37 UTC 版)
「カスミ」の記事における「神林照雄の社長就任と霞百貨店からの自立」の解説
1964年(昭和39年)9月に霞百貨店が京成電鉄の傘下に入ったため、神林は霞百貨店の常務取締役を辞任して同社を離れる事にしたが、その際に霞ストアーの社員から依頼された為神林は同社の事業に携わり続け、1967年(昭和42年)9月に株式会社霞ストアーの代表取締役に就任した。 この時点では無償で借りた茨城県土浦市大町の木造平屋の建物に本部を置いていたが、1968年(昭和43年)10月に、本部を土浦市東中貫に移転すると共に、株式会社カスミストアーに社名変更した。当時から本部主導のチェーン展開をするという方針を掲げ、東京・築地から鮮魚を仕入れて各店舗に配送する等の形で生鮮食料品の販売を手掛けていった。 金融機関からの融資だけではチェーン展開を進めるだけの出店資金が不足していた為、神林は取引先から借金をして出店するという方法で店舗展開を図り、昭和40年代に急速に店舗網を拡大していった。
※この「神林照雄の社長就任と霞百貨店からの自立」の解説は、「カスミ」の解説の一部です。
「神林照雄の社長就任と霞百貨店からの自立」を含む「カスミ」の記事については、「カスミ」の概要を参照ください。
- 神林照雄の社長就任と霞百貨店からの自立のページへのリンク