石黒磐
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石黒 磐(いしぐろ いわお、嘉永5年8月21日[1](1852年10月4日) - 昭和2年(1927年)4月13日[2])は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、ジャーナリスト。
経歴
尾張国中島郡、のちの愛知県中島郡長岡村(祖父江町を経て現在の稲沢市)出身[3]。漢学・英学・法学を学ぶ。東京市で家塾を開き、英学・漢学を講義するかたわら、翻訳業に従事した。のち愛岐日報、愛知新聞の記者となった。愛知県会議員、同副議長、名古屋市会議員、同参事会員に選ばれた。
1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。
著書
- 『通語難語解』(1884年)
- 『市町村制実解』(1889年)
脚注
参考文献
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 『衆議院要覧 大正元年十二月』衆議院事務局、1912年。
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