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石黒磐

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/31 09:36 UTC 版)

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石黒磐

石黒 磐(いしぐろ いわお、嘉永5年8月21日[1]1852年10月4日) - 昭和2年(1927年4月13日[2])は、日本の衆議院議員立憲政友会)、ジャーナリスト

経歴

尾張国中島郡長岡村(現在の愛知県稲沢市)出身。漢学英学法学を学ぶ。東京市で家塾を開き、英学・漢学を講義するかたわら、翻訳業に従事した。のち愛岐日報、愛知新聞の記者となった。愛知県会議員、同副議長、名古屋市会議員、同参事会員に選ばれた。

1912年明治45年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。

著書

  • 『通語難語解』(1884年)
  • 『市町村制実解』(1889年)

脚注

  1. ^ 『第拾壱回改選 代議士銘鑑』国華新聞社、1912年、p.18。
  2. ^ 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。

参考文献

  • 『衆議院要覧 大正元年十二月』衆議院事務局、1912年。



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