石黒清とは? わかりやすく解説

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石黒清

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/22 06:47 UTC 版)

石黒 清(いしぐろ きよし[1]、生年不明 - 生没不明)は、昭和時代の労働運動家

経歴

三井鉱山砂川鉱業所(砂川炭鉱)の労働組合、砂川炭鉱労働組合(砂労)の出身者[2]高野実の側近の1人[3]。1949年砂労書記長、1950年同副組合長[2]。1951年9月労働者同志会の結成に参加(当時炭労事務局次長)。1953年に労働者同志会が高野派と反高野派に分裂すると、全港湾兼田富太郎日教組平垣美代司らとともに労働者同志会を離れた[4]。のち総評の組織部長、政治部長、調査部長などを歴任[2]。1954年6月世界平和評議会主催の平和大集会(ストックホルム)に日本代表の一員として参加[注 1][5]。同年の日鋼室蘭争議を高野実総評事務局長とともに指導[6]。1956年5月の炭労大会で中執選挙に立候補したが、太田派とみられる候補に敗れ落選した[注 2][7]。1968年時点では町議会議員を務めていた[8]

脚注

注釈

  1. ^ 当時総評組織部長。
  2. ^ 当時総評担当部長。

出典

  1. ^ CiNii 図書 - 最低賃金制とは?
  2. ^ a b c 島西智輝「炭鉱労働組合運動における大衆闘争の形成に関する考察――戦後復興期の三井鉱山砂川炭鉱労働組合の事例を中心に」『三田商学研究』第4巻第6号、2005年2月
  3. ^ 高島喜久男『戦後労働運動私史 第2巻 1950-1954』第三書館、1993年
  4. ^ 労働運動史編纂委員会編『総評労働運動の步み』総評資料頒布会、1975年
  5. ^ 法政大学大原社会問題研究所編『日本労働年鑑 第28集 1956年版』労働旬報社、1970年
  6. ^ 竹村民郎、稲賀繁美「一九五〇年代の「職場」から生活に根差した「歴史」が立ち上がる (PDF) 」『図書新聞』第3349号、2018年4月28日
  7. ^ 南整『日本の人脈――労働運動のあゆみ』日刊労働通信社、1973年
  8. ^ 石黒清「投書 ヤマを守る道は死を拒否する抵抗だ (PDF) 」『新左翼』第15号、1968年12月25日



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