石母田達とは? わかりやすく解説

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石母田達

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/24 08:48 UTC 版)

石母田 達(いしもだ たつ、1924年5月11日 - 2022年2月12日)は、日本政治家労働運動家。元衆議院議員日本共産党公認、1期)。日本共産党名誉幹部会顧問[1]

石巻市長を務めた石母田正輔の五男[2]。兄は国民的歴史学運動で知られる歴史学者石母田正

来歴

宮城県石巻市出身[3]東京高等工芸学校(現千葉大学工学部)卒業[3]後、池貝鉄工所に就職[4]第二次世界大戦中は相模補給廠相模原市淵野辺)に属し、陸軍技術将校として誘導爆弾特攻兵器製作に携わる[5]。自らも特攻乗員となり出撃の日を待ちながら終戦を迎えた[4]

復員後は池貝鉄工所に戻り、旋盤技師を務める傍ら日本共産党へ入党。兄の正に諭され同所の労働組合長に立候補し、1票差で対立候補を躱し組合長に当選する[4]。その後、日本共産党神奈川県常任委員、同党横浜市委員会委員長[3]を経て、1972年第33回衆議院議員総選挙旧神奈川1区から立候補し初当選を果たす。トップ当選であった[6]。当選はこの1回のみに留まり、1980年の*第36回衆議院議員総選挙落選が最後の立候補となった。

晩年は神奈川県厚木市の高齢者施設で生活していたが、2022年2月12日20時、老衰のため、死去した[7]。97歳没。

政歴

著書

  • 『激動を走り抜けた八十年』2006年1月、私家本

脚注

  1. ^ 名誉役員と顧問を承認 あらたに31氏 日本共産党第21回大会
  2. ^ 『人事興信録 10版(昭和9年10月発行) 上卷』人事興信所、1934年、イ205頁。NDLJP:1078620/278 
  3. ^ a b c 1972年12月11日朝日新聞「当選した491人」
  4. ^ a b c 補給廠で迎えた終戦町田平和委員会ウェブサイトより
  5. ^ 吉田健二「食糧メーデーと天皇プラカード事件(2) : 松島松太郎氏に聞く」『大原社会問題研究所雑誌』第535号、法政大学大原社会問題研究所、2003年、55-71頁、NDLJP:9971765 
  6. ^ 『昭和47年12月10日執行衆議院議員総選挙最高裁判所裁判官国民審査の記録』神奈川県選挙管理委員会、1973年、5頁。全国書誌番号:72010308 
  7. ^ “石母田達氏死去(元共産党衆院議員)”. 時事ドットコム. 時事通信社. (2022年2月21日). https://web.archive.org/web/20220221061131/https://www.jiji.com/jc/article?k=2022022100619&g=pol 2022年2月21日閲覧。 
  8. ^ 『第31回衆議院議員総選挙一覧』衆議院事務局、1967年9月30日、163頁。NDLJP:1351320/89 

関連項目




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