石橋秀野と松江騒擾事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 02:00 UTC 版)
石橋秀野は、松江騒擾事件が行われていた当時、島根県に住んでいた。石橋は、地裁判決に際し「師走某日、この日判決下りたる島根県庁焼打事件の被告たちの家族、徒歩にて刑務所に帰る被告を目送のため裁判所横の電柱の陰にたゝずめるに行きあひて 三句」として、次の3句を詠んだ。 編笠に須臾の冬日の燃えにけり 冷さの手錠にとざす腕かな 凍雲や甲斐なき言をうしろ影 こののち、石橋は1947年(昭和22年)に京都で死去した。これら3句は、石橋の死後1949年(昭和24年)に刊行された句文集『櫻濃く』に収録されている。「編笠」は、法廷で被告人がかぶせられていたものであり、また「須臾(しゅゆ)」とは、「束の間」といった意味である。
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