真島襄一郎、工場排水を飲む。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 09:15 UTC 版)
「真島襄一郎」の記事における「真島襄一郎、工場排水を飲む。」の解説
1893年(明治26年)富士製紙入山瀬工場長だった真島はサルファイト・パルプ(化学パルプ)の工業化に成功するが、工場の排水路沿いの農民は工場排水が農業に悪影響を与えるのではないかと恐れ工場に抗議に現れる。暴徒化し殺到する農民を前に真島は「排水は大して害にならぬから心配に及ばぬ」と言う。ところが農民たちは「この毒々しい排水が作物の害にならないはずはないだろう。それが害でないというなら飲んでみろ!」と返すが、真島はコップに注がれた工場排水を平然と飲み干して「このとおり、人間に害にならぬものが何で作物に害になるものか?」と言い返す。これに肝をつぶした農民はそれ以上文句を言えず三々五々引き返していった。心配された翌年の農作物はどういうわけか出来がよかった。そのため数年間は排水問題は起こらなかったが、しかしながら(真島は飲んで見せたが)工場排水が農作物に良いはずもなく、富士製紙はこののち排水対策に力を注ぐことになる。
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