相鉄線との相互直通運転構想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 16:00 UTC 版)
「羽田アクセス線 (新横浜)」の記事における「相鉄線との相互直通運転構想」の解説
1982年2月、横浜市長が新線を相鉄線に接続する意向を表明した。この背景には、都市交通審議会答申第9号で位置づけられた、神奈川県南部・県央部から東京方面に直通する「6号線」構想があった。「6号線」は、相鉄いずみ野線がその一部として建設されたものの、東京方面への計画は立ち消え状態になっていた。横浜市は新線を相鉄線に接続することで、「6号線」構想の復活・再現を考えていたのである。 1983年2月に発表された「羽田アクセス素案」で相鉄線に接続することが決定。相鉄線との相互直通運転を視野に、鉄道規格で建設することになった。 後に実現する相鉄新横浜線は、建設費節減のため、新横浜駅に近い西谷駅で相鉄本線と接続している。しかし当時の構想では鶴ヶ峰駅または二俣川駅で接続することになっていた。これは横浜市が鶴ヶ峰・二俣川地区を都市計画上の地域拠点としているからである。
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