盛岡藩の対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 08:40 UTC 版)
弘前藩の同盟脱退時から盛岡藩は攻撃を危惧し、7月16日の時点で家老栃内与兵衛を軍事総督として八戸藩からの2小隊を含む400名の備えを藩境においていた。だが、弘前藩の攻撃は9月に入っても起こらず、そのうち9月12日には同盟の盟主である仙台藩が降伏を申し入れ15日に受託されたことから、盛岡藩も継戦の理由を失って20日に新政府軍へ降伏。22日に受理されて盛岡藩の戊辰戦争は形式的には終結した。
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