盛岡に移転、2校増設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/04 09:58 UTC 版)
「陸軍予備士官学校 (日本)」の記事における「盛岡に移転、2校増設」の解説
1939年(昭和14年)3月、仙台にあった陸軍予備士官学校は岩手県盛岡市近郊、岩手郡厨川村の騎兵第23連隊兵営跡地へ移転した。仙台においては陸軍予備士官学校を廃し、仙台陸軍教導学校内の幹部候補生隊として教育を続けた。さらに同年8月1日施行の陸軍予備士官学校令改正(勅令第517号)により、盛岡のほか愛知県豊橋市と福岡県久留米市に1校ずつを設置した。陸軍予備士官学校は盛岡陸軍予備士官学校(歩兵科)へ改称し、新しく設置された2校はそれぞれ豊橋陸軍予備士官学校(歩兵科・砲兵科)、久留米陸軍予備士官学校(輜重兵科)となった。豊橋校は当初市内の町畑町にある豊橋陸軍教導学校内に設置され、同教導学校が翌年11月13日付で豊橋市内の西口町に移転したのち、町畑町の陸軍学校施設は豊橋陸軍予備士官学校のみとなった。久留米校は当初久留米陸軍偕行社内に仮設置されたが、同年9月23日付で久留米市西町の独立山砲兵第2連隊兵営跡に移転した。
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