白兵抜刀術研究のきっかけ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/02 00:05 UTC 版)
「高山政吉」の記事における「白兵抜刀術研究のきっかけ」の解説
1925年(大正14年)6月に、大日本武徳会の朝鮮・満州の武道視察に随行し、日露戦争の激戦地であった旅順・東鶏冠山砲台の戦跡を巡ったことが、武道の研究のスタートであったと、高山は後に述べている。 高山は、片手サーベル式の軍刀は戦闘での具合が悪いため、日本刀式に改めるべきであるとの持論を唱えた。また、当時の前線で戦った兵士達からは、敵が太刀を振り回していると、銃剣では近づき難いという声が挙がっていたほか、軍部内では、銃剣で敵の身体を突くと、肉が纏わり付いて剣を引き締めるため、力を入れて早く抜かねばならないということが一般的に信じられていた。高山は豚・犬等を使用した反証実験を軍に紹介したが、一笑に付されたため、いよいよ実戦場で持論を試すことを決意する。
※この「白兵抜刀術研究のきっかけ」の解説は、「高山政吉」の解説の一部です。
「白兵抜刀術研究のきっかけ」を含む「高山政吉」の記事については、「高山政吉」の概要を参照ください。
- 白兵抜刀術研究のきっかけのページへのリンク