田中千鶴子とは? わかりやすく解説

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田中千鶴子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/20 08:45 UTC 版)

田中 千鶴子
選手情報
ラテン文字 Chizuko Tanaka
国籍 日本
競技 トラック競技中距離走
種目 800m
大学 愛知学芸大学
生年月日 1939年または1940年
コーチ担当者 竹内伸也
国内大会決勝 日本選手権
800m 優勝 (1960,61年)
獲得メダル
陸上競技
日本
アジア大会
1962 ジャカルタ 800m
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田中 千鶴子(たなか ちづこ、1939年または1940年[注釈 1] - )は、日本陸上競技選手。専門は中距離走。日本で中断していた女子中距離走が復活した時期に、日本記録を樹立した選手である。

経歴

名古屋女学院から愛知学芸大学に進む[2]。愛知学芸大学では、監督の竹内伸也の指導を受けた[3][注釈 2]。愛知学芸大学に所属していた1959年8月1日、第43回日本陸上競技選手権大会でオープン競技の800mに出場し、2分27秒5で25年ぶりの日本記録を樹立した[1]。当時、日本では女子800mについては長いブランクがあり、日本陸上競技選手権大会では1936年を最後に正式種目としての開催が途絶え[4]1960年ローマオリンピックの正式種目に採用されたことからオープン競技として実施されたものだった[1]。2位以下の選手はゴール後に疲労困憊した姿を見せ、少年層向けの『なにが起ったか 科学ニューズ物語 3』の解説記事には「女子がはたして八百メートル競走に堪えられるようになるかという判断は、なかなかつけにくい問題である」と指摘されていた[1]

1960年に女子800mが24年ぶりに日本陸上競技選手権大会の正式種目として復活し[4]、同年と1961年の大会に連続優勝した[5]

1960年6月の東海陸上競技選手権大会では自己記録を更新する2分15秒4を記録したが、ローマオリンピック参加標準記録の2分12秒0には届かず、代表を逃した[6]

1960年から1962年時点も愛知学芸大学所属だった[7][5]。この時期の田中が、好調なときに肉離れを発症していた記録が、当時のスポーツ医学解説書に掲載されている[8]

1962年のアジア競技大会の800mにおいて金メダルを獲得した[9][10][11][7]。また、1962年には400mにおいても61秒3の日本記録を樹立した[12]

その後教職に就き、1965年に愛知県立瀬戸窯業高等学校の教員となって陸上競技の指導に携わった[13]

脚注

注釈

  1. ^ 1959年8月の日本陸上競技選手権大会800mについて触れた『なにが起ったか 科学ニューズ物語 3』には「まだ十九歳」という記述がある[1]
  2. ^ 竹内は後に、中国出身の女子マラソン選手・趙友鳳を育てた。

出典

  1. ^ a b c d 白木茂 他 編「新人田中譲、八百に日本新」『なにが起ったか 科学ニューズ物語 3』実業之日本社、1960年6月10日、138-145頁https://dl.ndl.go.jp/pid/1622788/1/77?keyword=%E7%94%B0%E4%B8%AD%E5%8D%83%E9%B6%B4%E5%AD%90+%E9%99%B8%E4%B8%8A (リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション)
  2. ^ 「スポーツ人国記」特別取材班 編『スポーツ人国記日刊スポーツ新聞社、1977年9月、224頁https://dl.ndl.go.jp/pid/12141774/1/118?keyword=%E7%94%B0%E4%B8%AD%E5%8D%83%E9%B6%B4%E5%AD%90%20%E9%99%B8%E4%B8%8A (リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション
  3. ^ 長岡民男『とんで、とんで天まで 十字架のジャンパー山田宏臣物語』講談社、1982年10月、p.119
  4. ^ a b 過去の優勝者・記録 - 第104回日本陸上競技選手権大会ウェブサイト(日本陸上競技連盟
  5. ^ a b 日本陸上競技連盟七十年史編集委員会 編『日本陸上競技連盟七十年史』財団法人日本陸上競技連盟、1995年、901-902頁。 
  6. ^ 中部経済新聞社 編『愛知年鑑 1961』中部経済新聞社、1961年、322頁https://dl.ndl.go.jp/pid/3001834/1/192?keyword=%E7%94%B0%E4%B8%AD%E5%8D%83%E9%B6%B4%E5%AD%90+%E9%99%B8%E4%B8%8A (リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ a b 日本陸上競技連盟七十年史編集委員会 編『日本陸上競技連盟七十年史』財団法人日本陸上競技連盟、1995年、1100頁。 
  8. ^ 村地俊二・杉浦保夫・竹内伸也 他『スポーツにおける肉ばなれと捻挫ベースボール・マガジン社〈スポーツ新書〉、1963年、55-57頁https://dl.ndl.go.jp/pid/2501580/1/29?keyword=%E7%94%B0%E4%B8%AD%E5%8D%83%E9%B6%B4%E5%AD%90+%E9%99%B8%E4%B8%8A (リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション)
  9. ^ Chizuko Tanaka”. Athletics Podium. 2021年7月24日閲覧。
  10. ^ Asian Games”. GBR Athletics. 2021年7月24日閲覧。
  11. ^ ASIAN GAMES Jakarta, Indonesia 1962”. ATFS. 2021年8月8日閲覧。
  12. ^ 星野綾子(著)、日本女子体育連盟(編)「スパイクの跡⑫ 望まれる大型選手の出現 人見の後継者なきさびしさ」『女子体育』第12巻第5号、日本女子体育連盟、1970年5月、40-41頁。 (リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション)
  13. ^ 瀬戸市体育協会創立40周年記念誌編さん委員会 編『創立40年のあゆみ 瀬戸市体育協会40年史』瀬戸市体育協会、1986年10月、p.26



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