現在の竹島問題との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 07:12 UTC 版)
現在の韓国との間の竹島問題において、この時の尋問が注目されている。現在の鬱陵島を当時の日本では「竹島」と呼んでおり、現在の竹島を「松島」と呼んでいた。元禄時代の鬱陵島の領有問題(竹島一件)の結果、日本は鬱陵島への渡航を禁止したが、現在の韓国はこの時松島(現在の竹島)も竹島(鬱陵島)と同時に放棄したと主張している。しかし、竹島事件の判決文の中には、橋本三兵衛が会津屋八右衛門に対して「右最寄松島へ渡海之名目を以て竹島え渡り稼方見極上弥々益筋に有之ならば取計方も有之」と語ったことが記されており、「竹島一件」後も松島(現在の竹島)への渡航は禁止されていなかったことが窺える。現在の日本では、竹島一件において幕府が自ら放棄したのは竹島(鬱陵島)だけであったとことが確認できるとされている。 しかし「朝鮮竹嶋渡航始末記」には、竹島事件の尋問中に会津屋八右衛門が書いた方角図が添付されており、「竹嶋」「松シマ」が朝鮮半島と同じ朱色で着色されている。そのため、韓国では当時の日本で松島(現在の竹島)が朝鮮領と認識されていた証拠であると主張している。
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