玖珂郡と大島郡の平定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/25 10:20 UTC 版)
翌11月(改元したため弘治元年)には、毛利方の村上水軍が大島郡の宇賀島(周防大島町の浮島)を攻め、大内方の宇賀島水軍を討伐する。島が一時的に無人島になるほど、徹底的に掃討されたと言われる。弘治2年(1556年)の年明けまでに玖珂郡の地侍らの多くは毛利氏に服属したが、山代地方の郷村(周防山代一揆)は成君寺(岩国市本郷町)の山城に籠もって毛利軍に抵抗した。毛利軍は、山代地方の平定に当たっていた坂元祐(坂新五右衛門) が入っていた高森城(岩国市美和町)から成君寺城を攻め、2月12日頃に落城させたと言われる。また、同月18日には三瀬川(岩国市周東町)で大内義長軍を撃退した。
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