玉の池
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 02:08 UTC 版)
元和9年(1623年)9月、荒川の洪水により堤(北条堤)が決壊し、決壊場所から湧き水が生じるようになり「玉の池」と呼ばれた。江戸後期に編纂された『新編武蔵風土記稿』には次のように記されており、「石上寺境内の池」が「玉の池」にあたる。 星川水源二派あり、一は宿の南裏なる石上寺境内の池より流れ出、一は成田用水の下流来て一條の川となれり、また久山寺境内より湧き出る水も此川に注ぐという なお、湧き水は荒川河川敷にある砂利の乱掘、周辺地域の都市化などの影響により、昭和30年代に枯渇したが、六堰頭首工から取水した荒川の水を引き入れることで水位を保っている。
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