玄海太郎(げんかい たろう)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 23:35 UTC 版)
「ああ播磨灘」の記事における「玄海太郎(げんかい たろう)」の解説
北道山の弟弟子。福岡県出身。昔は、九州では名の知れた暴れん坊だったが、北道山の鬼のシゴキで、ぶちかましを武器に「壊し屋」の異名を取る実力派力士となった(不良時代の姿も叩きのめされるところも回想シーンで描かれた)。そのため、関取になった今でも北道山を「大将」と慕う。それは、北道山が綱を返上してからも決して変わることはなかった。北道山が横綱だった時は、露払いを務めた。苦悩する北道の付き人につくことを申し出、怒鳴りつけられたこともある。9月場所では「波のり玄海」とアナウンスされるほどの好調を引っ提げて播磨灘に挑むが秒殺。敗北後は北道山に「流し目をくれやがって」と叩きのめされた。以後、「播磨灘に勝つまでは口をきかない」との願をかけてそれを守り続け11月場所の7日目に播磨灘に臨むが、またも秒殺され、負けた瞬間に声を出してしまい、播磨灘から「願掛けするなら一生しゃべらないとしろ」と嘲笑われた。初場所では北道山との稽古によって負傷していたため休場しており、片目に眼帯をかけていた。
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