猊鼻渓開発の成就
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 03:35 UTC 版)
猊鼻渓を構成する砂鉄川の渓口に発電所の設置が地元から出願されて実現が濃くなり、この徴候に対し猊巌は、渓峡の保存は、法によるしかないと決意し、三好学博士に訴えて踏査を請い、開発運動を展開した。この期から前後50年を経て、ようやく内務大臣の名勝保存法による指定が発表された。[要出典]かくして佐藤洞潭を先人に、猊鼻渓開発は、猊巌に至る親子二代の念願がここにかなった。[要出典]猊巌は、この機に際し「今後この保存の責任は自治体にあるも、なお指導につとめ保存の実をあげたい。また、遊覧の案内も村営として完璧な探勝地にしたい」と述べている。[要出典]
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