犬居開城以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 18:47 UTC 版)
その後、天正10年(1582年)3月、織田・徳川連合軍による甲州征伐により武田氏は滅亡する。天野景貫は相模国小田原北条氏を頼り、佐竹氏との戦いに従事するが、その没年は不明である。その後、天野氏一族は離散したが、同族の安芸天野氏は毛利氏に、三河天野氏は徳川氏に従って家臣として存続した。また故郷の遠江国や由来のある伊豆国・相模国・甲斐国では帰農し郷士となった者もいる。徳川氏に従った者の末裔には、江戸時代中期尾張藩に仕えた歴史学者の天野信景がいる。
※この「犬居開城以後」の解説は、「天野氏」の解説の一部です。
「犬居開城以後」を含む「天野氏」の記事については、「天野氏」の概要を参照ください。
- 犬居開城以後のページへのリンク