牧野康長とは? わかりやすく解説

牧野康長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/27 14:01 UTC 版)

 
牧野康長
時代 江戸時代後期 - 末期
生誕 寛政10年6月13日1798年7月26日[1]
または寛政8年(1796年[2]
死没 慶応4年1月4日1868年1月28日
改名 虎之丞(幼名)、康長
別名 大蔵(通称
諡号 松山
戒名 恭徳院殿高誉松山善翁大居士
墓所 長野県小諸市の牧野家墓地
官位 従五位下、内膳正、宮内少輔
幕府 江戸幕府
信濃国小諸藩
氏族 牧野氏
父母 父:牧野康儔
兄弟 康長康明
正室:なし
養子:康明
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牧野 康長(まきの やすなが)は、信濃小諸藩の第6代藩主。越後長岡藩分家牧野家8代。

第5代藩主・牧野康儔の長男として生まれる。寛政12年(1800年)に父が死去したため家督を継いだ。享和2年(1802年)に藩校明倫堂を創設して文武を奨励している。文化11年(1814年)1月に従五位下・内膳正に叙位・任官する。文化13年(1816年)8月23日に宮内少輔に遷任する。

文政2年(1819年)4月21日、病気を理由に家督を弟で養子の康明に譲って隠居する。天保4年(1833年)12月29日には松山と号した。慶応4年(1868年)1月4日に死去した。享年71(または73)。

系譜

父母

養子

脚注

  1. ^ 牧野康長」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』講談社https://kotobank.jp/word/%E7%89%A7%E9%87%8E%E5%BA%B7%E9%95%B7コトバンクより2025年4月27日閲覧 
  2. ^ 『三百藩藩主人名事典 第2巻』新人物往来社、1986年、p.467。




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