牢獄塔(ゼルテンレーア)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 16:40 UTC 版)
「ハイデルベルク城」の記事における「牢獄塔(ゼルテンレーア)」の解説
ゼルテンレーア (Seltenleer)(またはニンマーレーア (Nimmerleer) とも呼ばれる)という名前は1603年から使われるようになったことが分かっている。これは牢獄として使われていたこの塔が滅多に空にならない(setlen = 「滅多に...ない」、leer = 「空っぽの」。ニンマーレーアも同じ意味で niemals = 「決して...ない」が語源)ことから名付けられた。 牢獄塔の遺構は堀の南西にある。牢獄室はおそらく、陽の当たらない塔の土台部にあったと考えられる。防衛塔としての機能はほとんど考慮されていない。この塔は側面の塔の中で最も小さなもので、外側の直径は約10m、高さ約19.5mで壁の厚さは2.75mである。 対立教皇ヨハネス23世が幽閉されたハイデルベルクの施設がこの塔であるかどうかは定かではない。多くの文献が城に幽閉されたと記述しており、そうであればこの塔に幽閉された可能性もある。しかし、ヨハネス23世が幽閉されたのはアルテ・ブリュッケの近くであるという説もある。それは教皇パウルス5世宛のイタリア使節の書簡でブリュッケアッフェ(アルテ・ブリュッケに飾られているサルの像)について言及されている(「牢獄では、あの人物は老猿と呼ばれています」)からである。
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