片野饗一とは? わかりやすく解説

片野饗一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/15 08:22 UTC 版)

かたの きょういち

片野 饗一
生誕 (1915-11-16) 1915年11月16日
日本秋田県湯沢市
死没 (2002-02-24) 2002年2月24日(86歳没)
秋田県秋田市
死因 脳梗塞
出身校 東京商科大学
職業 銀行家
片野重脩・ソノ
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片野 饗一(かたの きょういち、1915年(大正4年)11月16日 - 2002年(平成14年)2月24日)は、日本銀行家北都銀行取締役相談役、秋田あけぼの銀行頭取を歴任した。

人物

秋田県湯沢市出身。東京商科大学(現一橋大学)卒業後、三菱商事入社[1]

1949年(昭和24年)には、父である片野重脩が設立を主導した秋田無尽に入社。その後、秋田相互銀行社長に就任した。

社長在任時は、1976年(昭和51年)の事務センターの開館、翌年にはオンラインシステムの稼動開始など事務のOA化を促進し体制の整備にあたった。また、1982年(昭和57年)には現在の北都ビルディングにあたる「新本店ビル」の竣功にこぎ着けた[2]。このほか、「秋田県にスポーツ文化を」との一念から、自ら立役者となり秋田相銀、あけぼの銀時代には、同行野球部を全国都市対抗野球選手権大会に東北代表として、それぞれ1度ずつ出場へと導いた[2]

1990年(平成2年)には、会長に退き、北都銀行発足後は取締役相談役となった。

2002年(平成14年)2月24日、脳梗塞で入院先の秋田赤十字病院にて86歳で没。

略歴

  • 1941年(昭和16年) - 東京商科大学(現一橋大学)卒業後、三菱商事入社。
  • 1949年(昭和24年) - 秋田無尽入社。
  • 1951年(昭和26年) - 秋田無尽、秋田相互銀行に転換。
  • 1953年(昭和28年) - 営業部長。
  • 1956年(昭和31年) - 取締役。
  • 1958年(昭和33年) - 常務取締役。
  • 1968年(昭和43年) - 専務取締役。
  • 1973年(昭和48年) - 社長。
  • 1989年(平成元年)- 普銀転換、秋田あけぼの銀行頭取。
  • 1990年(平成2年) - 会長。
  • 1993年(平成5年) - 合併、北都銀行取締役相談役。
  • 1994年(平成6年) - 退任。

脚注

  1. ^ 『日本金融名鑑(上)』日本金融通信社 1989年
  2. ^ a b 『日本金融通信縮刷版 2002年』日本金融通信社 2003年




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