熊岡美彦とは? わかりやすく解説

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熊岡美彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/17 14:43 UTC 版)

熊岡 美彦(くまおか よしひこ、1889年3月9日 - 1944年10月1日)は茨城県出身の洋画家

経歴

石岡市生まれ。実家は製糸業を営む素封家。石岡第一尋常小学校在学中に地元の南画家・鬼沢小蘭に日本画を学ぶ[1]土浦中学校を経て、1909年東京美術学校西洋画科に入学し和田英作藤島武二に師事する[2]。同期の首席は萬鉄五郎1913年同校卒。1926年、第1回帝国美術院賞を受賞する[3]。同年フランスへ遊学。1929年帰国。1932年斎藤与里らとともに東光会を結成[3]

1939年(昭和14年)4月、陸軍美術協会が発足するに当たり発起人の一人として名を連ねた[4]。同年『珠江口掃海』『虎門要塞攻撃』を第5回海洋美術展に出品。第二次世界大戦後、これらは他の戦争画とともにアメリカ合衆国に持ち出され、1970年(昭和45年)に無期限貸与という形で日本に返還。東京国立近代美術館に収蔵されている[5]。墓所は多磨霊園

熊岡絵画道場

1931年(昭和6年)に熊岡洋画研究所を開設(翌年、熊岡絵画道場と改称)、後進への指導を行った。

主な道場出身者

出典

脚注

  1. ^ 欧州からの帰国後に東光会を創立、多くの後進を育成した熊岡美彦 - UAG美術家研究所”. yuagariart.com. 2021年4月13日閲覧。
  2. ^ 物故者記事 熊岡美彦”. 東京文化財研究所. 2018年11月12日閲覧。
  3. ^ a b Kotobank-熊岡美彦.
  4. ^ 戦争画の名作を目指して『東京朝日新聞』(昭和14年4月16日)『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p787 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  5. ^ 熊岡美彦1889 - 1944 KUMAOKA, Yoshihiko”. 東京国立近代美術館. 2022年8月30日閲覧。
  6. ^ 平通武男『出身県別 現代人物事典 西日本版』p983 サン・データ・システム 1980年
  7. ^ 山本日子士良”. 『日本美術年鑑』平成6年版(334頁) (2014年). 2022年7月2日閲覧。

外部リンク




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