照代死去後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 09:09 UTC 版)
ところが1987年に妻の照代が急死し、三球は再び人気絶頂で相方を失う憂き目に遭う。失意の三球を見兼ねた周囲が子役出身の声優で漫才経験のある若手女性芸人の芳賀みちるの世話にあたりコンビを組ませ、舞台に復帰させたものの、1988年5月27日に三球からコンビ解消の申し入れが落語協会と鈴本演芸場にあった。三球は1989年4月5日付で落語協会を退会。なお、漫才協会には引き続き所属。 三球はその後も一旦暫く精彩を欠くが、傷心が癒えると共にピンの漫談家として再起しNHKラジオ第1放送の『真打ち競演』等のラジオ番組や、NHK総合テレビの『笑いがいちばん』等のテレビ放送の演芸番組等に出演している。1989年5月18日、巣鴨地蔵通り商店街に山藤章二筆の巨大な似顔絵看板を掲げた『健康肌着の店-春日三球の店』を開店、ババシャツブームに乗って盛業中であったが2011年2月に閉店している。 巣鴨にちなみ青空うれしと組んでの掛け合いも時折見せているが、本格的な漫才コンビ再結成には到っていない。
※この「照代死去後」の解説は、「春日三球・照代」の解説の一部です。
「照代死去後」を含む「春日三球・照代」の記事については、「春日三球・照代」の概要を参照ください。
- 照代死去後のページへのリンク