煉瓦製造業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/08/05 08:22 UTC 版)
明治-大正時代になると、浅草の凌雲閣や東京駅に代表されるような煉瓦建築が広がった。1917年(大正7年)には金町製瓦株式会社が現在の中川5丁目に大谷田工場を建設した。これは良質な原土の荒木田が採集できたからである。操業開始した翌年に金町製瓦は日本煉瓦製造株式会社に併合され、大谷田工場も同社に引き継がれた。しかし、1923年(大正12年)の関東大震災(関東地震)で工場が倒壊し、さらに凌雲閣の崩壊から煉瓦建築の耐震性が疑問視され始め、1928年(昭和3年)をもって大谷田工場は操業を停止した。敷地は日立製作所に引き継がれた。 主な煉瓦製造工場は以下の通り。※現在これらの製煉瓦工場は存在しない。 日本煉瓦製造株式会社亀有工場 日本煉瓦製造株式会社大谷田工場
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