澤部元信とは? わかりやすく解説

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澤部元信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/25 09:46 UTC 版)

澤部 元信(さわべ もとのぶ、1883年明治16年)3月10日[1][2] - 没年不明[1])は、日本政治家。初代茨城県下妻市長(2期)。勲五等双光旭日章

ハライチ澤部佑の曽祖父[3][4]

来歴

1903年(明治36年)、明治法律学校を修了する[2]1921年大正10年)真壁郡下妻町会議員となる[2]。その後、1933年昭和8年)と1939年(昭和14年)に下妻町長に就任[2]。町長は1943年(昭和18年)まで務めた[2]

戦後公職追放となり[5]、追放解除後の1952年(昭和27年)下妻町長に復帰する[2]1954年(昭和29年)下妻町は真壁郡上妻村結城郡総上村豊加美村筑波郡高道祖村を編入し、下妻市が発足し、町長から初代市長となった[2]。澤部は市制施行の祝賀式典の挨拶で「下妻市は、県西における文化都市として、また周辺生産物の加工都市として、新規工業都市として発展し、将来、農工商の総合産業都市を目指す」と宣言した[2]。翌年から「市建設五か年事業」を発足させた[2]

1955年(昭和30年)に一度市長を退任し、4年後の1959年(昭和34年)に再び市長に復帰した[6]。2期目は市営住宅の建設、青年研修所の開所、市経済課の農政、商工の2課に分離、商工観光課の新設、区画整理事業の着手など[6]、新たな都市建設への土台づくりを始めた。

1964年、秋の叙勲にて勲五等双光旭日章[7]

脚注

  1. ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』72頁。
  2. ^ a b c d e f g h i 『日本の歴代市長 第1巻』538頁。
  3. ^ “ハライチ・澤部佑、曽祖父は茨城県下妻市の初代市長だった”. FLASH. (2019年9月2日). https://smart-flash.jp/entame/79615/1/ 2021年9月18日閲覧。  {{cite news}}: |date=の日付が不正です。 (説明)
  4. ^ “ハライチ澤部「実はおぼっちゃん」 曽祖父の意外な職業を告白”. デイリースポーツ. (2024年4月1日). https://www.daily.co.jp/gossip/2024/04/01/0017494961.shtml 2024年4月1日閲覧。  {{cite news}}: |date=の日付が不正です。 (説明)
  5. ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、549頁。NDLJP:1276156  公職追放の該当事項は「翼賛下妻町協兼支」。
  6. ^ a b 『日本の歴代市長 第1巻』539頁。
  7. ^ 『叙勲名鑑 昭和42年 秋季版』(叙勲名鑑刊行会、1968年)付録21頁

参考文献




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