滝精一とは? わかりやすく解説

たき‐せいいち【滝精一】

読み方:たきせいいち

[1873〜1945美術史家東京生まれ。号、拙庵。和亭の子日本美術史学の育成尽力また、美術雑誌国華」の主幹務めた


滝精一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/24 03:25 UTC 版)

滝 精一(たき せいいち、1873年明治6年)12月23日 - 1945年昭和20年)5月17日)は、日本美術史家東京帝国大学教授。

来歴

東京生まれ。滝和亭の長男。号は拙庵。東京帝国大学哲学科卒、1914年、母校の文学部に美術史学講座が開設された際に初代教授となり、昭和9年(1934年)の退官まで日本美術史と中国絵画史を講じた[1]。1925年帝国学士院会員。1927年文学部長。大阪朝日新聞客員、東方文化学院理事長、会長を務め、『国華』の編集に携わる[2]。1940年朝日文化賞受賞。

かつて滝に新聞学講座開設を阻止された小野秀雄の恨みを買い、没後、小野の回想録で憎悪に満ちた批判を受けた[1]

著書

単著

編集

校訂

共著

脚注

  1. ^ a b 小野秀雄と瀧精一木下直之、ニュースの誕生 かわら版と新聞錦絵の情報世界、東京大学総合研究博物館
  2. ^ 滝精一徳富蘇峰記念館

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