湿田地帯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/02 06:27 UTC 版)
新潟市中央区・東区の一部と江南区のほぼ全域にあたる鳥屋野潟を中心とした約11km四方、約10,000haにも及ぶ広大なエリアで、かつては「地図にない湖」とも呼ばれた大湿地帯であった地域である。湿田であったため農民は舟を使って腰まで水に浸かりながらの農作業を強いられ、生産性が低く且つ命懸けの作業環境にさらされていた。しかし、過酷な環境下で造られた米は鳥ですら口にしないことから「鳥跨ぎ」とも呼ばれるなど、著しく品質が低かった。さらには信濃川や阿賀野川で洪水が発生するたびに堤防が壊れ、大規模な被害を受け、三年に一度しか米が作れないことから「三年一作」とも揶揄されたほどであった。この間、信濃川では大河津分水路の通水によって下流域の水量が減少し、阿賀野川でも大規模な河道改修が実施されたことにより、治水能力は改善された。また鳥屋野潟から信濃川に通じる栗ノ木川の分水路として新栗ノ木川が通水したものの、亀田郷の排水は遅々として進まなかった。
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